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Thứ Ba, 10 tháng 11, 2015
Thứ Hai, 28 tháng 7, 2014
金閣寺の3つの窓
金閣寺 |
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丸窓。寺のつくり。 /* |
お寺の建物のつくりです。
足利義満は、僧であり、将軍でもありました。
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2階には、武士の建物のつくりが見られます。
内と外を仕切るのは、引き戸です。
あつかいやすくて場所をとらない引き戸ので、機能重視の武士の家で使われました。
引き戸。武士の建物。 /* |
内と外を仕切るのは、引き戸です。
あつかいやすくて場所をとらない引き戸ので、機能重視の武士の家で使われました。
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しとみ戸。貴族の建物。 /* |
部屋に光や風を取りこむためのしとみ戸があります。
しとみ戸は、貴族の建物で使われていました。
貴族は、僧よりも武士よりも下に置かれていました。
臨済宗相国寺派 金閣寺
金閣寺 【2+】
鹿苑寺 1
鹿苑寺 2
鹿苑寺 3
鹿苑寺 4
鹿苑寺 5
鹿苑寺 6
*
http://plaza.rakuten.co.jp/yohgo/diary/200910180000/
http://blogs.yahoo.co.jp/yamajikaze1/5008749.html
http://www.e-kyoto.net/special2/551
Chủ Nhật, 27 tháng 7, 2014
くらしと政治② 国民主権と国会・内閣
くらしと政治② 国民主権と国会・内閣
scene 01 国民主権を実現する仕組み
前回はわたしたちに身近な市役所の仕事について勉強しました。今回からは国の政治の仕組みについて考えます。そこで大切なのが、「憲法」です。憲法は政治のあり方や仕組みなどを定めている、国の最高の決まりです。現在の日本国憲法には大きく三つの柱があります。国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義。3回に分けて、この憲法の3本の柱について見ていきましょう。まず、国民主権。国民が主役となって国の政治を動かしていくという考え方です。国民主権を実現するために日本にはどんな政治の仕組みがあるのか。その一つが、「国会」です。
オープニング
scene 02 国民の選挙で選ばれる国会議員
東京都千代田区にある国会議事堂。国会は、この場所で開かれます。国会は主に、法律をつくるための話し合いの場で、多数決により物事を決めます。「国会議員」は、国民の選挙によって選ばれます。満20歳(さい)以上の国民はみな、選挙で投票する権利「選挙権」を持っています。候補者は、どのような政治をめざすのか政策をうったえます。国民はそれを聞いて、どの候補者が自分の意見に近いか考え、自分が選びたいと思った候補者名や政党の名前を投票用紙に書き、投票します。選挙で選ばれた国会議員は、国民の代表として、国民の意思を尊重した仕事を行うのです。
オープニング
scene 03 歴史にドキリ★豆知識
日本では明治時代の1890年に初めて選挙が行われました。25歳(さい)以上で、多額の税金、当時の15円以上を納めた男性だけに選挙権があたえられました。その結果、選挙権を持てたのは、全人口の100人に1人くらいでした。
オープニング
scene 04 選挙で選ばれた国会議員が政治を進める
国会は衆議院と参議院に分かれていて、定員は、衆議院が480人、参議院が242人です。任期は、衆議院で4年、参議院で6年です。衆議院は解散がありますが、参議院はありません。二つの議院で話し合うことで、政治の方向を慎重(しんちょう)に決めていく仕組みです。選挙で選ばれた国会議員が慎重に政治を進める。こうした仕組みが、国民主権を実現させるのです。
オープニング
scene 05 法律をつくる大切な仕事
みんなが読む本や、食べものや、身につけるものなど、ものを買ったときに支払(しはら)わなければならないのが消費税。そのほか、赤信号では止まる、未成年はお酒を飲んではダメなど、これらのことはすべて「法律」で決められています。法律とは、わたしたちの幸せを実現するためにみんなが守らなければならないルールのことです。この法律をつくるのが国会の大切な仕事で、国会だけが法律をつくることができます。さて、2011年3月11日に発生した東日本大震災(しんさい)。現在、復興のためさまざまな工事が行われていますが、これは国の予算を使って行われています。
オープニング
scene 06 ドキリ★国会が法律や予算などを決める
国民が納めた税金の使い方、国の「予算」を決めるのも、国会の役割です。たとえば、災害などが起こると国会議員はその場所に出向き、被害状況(ひがいじょうきょう)の確認や人々の要望を聞いて、必要な予算を考えます。そのほか、国民の健康や生活を守る社会保障費、公共の施設(しせつ)をつくる費用など、日本の予算は一年間でおよそ95兆円になります。国会には国民が選挙で選んだ代表が集まり、法律や予算などを決めます。
オープニング
scene 07 内閣の最高責任者「内閣総理大臣」
さて、国会で法律や予算が決まりました。これらを使って具体的に仕事をするのが、「内閣」です。そして、この内閣の最高責任者が、「内閣総理大臣」です。ところで、日本で最初の内閣総理大臣といえば?…。1885年、日本の初代内閣総理大臣に就任したのが、伊藤博文でした。
オープニング
scene 08 ドキリ★内閣は法律や予算に基づき国の政治を行う
内閣総理大臣を決めるのも、国会の大切な仕事です。国会によって選ばれた内閣総理大臣は、それぞれの専門分野を担当する国務大臣を任命し、内閣をつくります。内閣は、国会で決められた予算を使って、法律に従い、仕事を進めます。内閣のもとには、専門分野に分かれた府や省庁が置かれ、国の政治を行います。内閣は、国会で決められた法律や予算に基づき、国民の暮らしを支える仕事を行います。
オープニング
scene 09 憲法の三つの柱…
今日は、憲法の三つの柱の一つ、国民主権について学びましたが、ほかの柱を覚えていますか。次の柱は…。
scene 01 国民主権を実現する仕組み
前回はわたしたちに身近な市役所の仕事について勉強しました。今回からは国の政治の仕組みについて考えます。そこで大切なのが、「憲法」です。憲法は政治のあり方や仕組みなどを定めている、国の最高の決まりです。現在の日本国憲法には大きく三つの柱があります。国民主権、基本的人権の尊重、そして平和主義。3回に分けて、この憲法の3本の柱について見ていきましょう。まず、国民主権。国民が主役となって国の政治を動かしていくという考え方です。国民主権を実現するために日本にはどんな政治の仕組みがあるのか。その一つが、「国会」です。
オープニング
scene 02 国民の選挙で選ばれる国会議員
東京都千代田区にある国会議事堂。国会は、この場所で開かれます。国会は主に、法律をつくるための話し合いの場で、多数決により物事を決めます。「国会議員」は、国民の選挙によって選ばれます。満20歳(さい)以上の国民はみな、選挙で投票する権利「選挙権」を持っています。候補者は、どのような政治をめざすのか政策をうったえます。国民はそれを聞いて、どの候補者が自分の意見に近いか考え、自分が選びたいと思った候補者名や政党の名前を投票用紙に書き、投票します。選挙で選ばれた国会議員は、国民の代表として、国民の意思を尊重した仕事を行うのです。
オープニング
scene 03 歴史にドキリ★豆知識
日本では明治時代の1890年に初めて選挙が行われました。25歳(さい)以上で、多額の税金、当時の15円以上を納めた男性だけに選挙権があたえられました。その結果、選挙権を持てたのは、全人口の100人に1人くらいでした。
オープニング
scene 04 選挙で選ばれた国会議員が政治を進める
国会は衆議院と参議院に分かれていて、定員は、衆議院が480人、参議院が242人です。任期は、衆議院で4年、参議院で6年です。衆議院は解散がありますが、参議院はありません。二つの議院で話し合うことで、政治の方向を慎重(しんちょう)に決めていく仕組みです。選挙で選ばれた国会議員が慎重に政治を進める。こうした仕組みが、国民主権を実現させるのです。
オープニング
scene 05 法律をつくる大切な仕事
みんなが読む本や、食べものや、身につけるものなど、ものを買ったときに支払(しはら)わなければならないのが消費税。そのほか、赤信号では止まる、未成年はお酒を飲んではダメなど、これらのことはすべて「法律」で決められています。法律とは、わたしたちの幸せを実現するためにみんなが守らなければならないルールのことです。この法律をつくるのが国会の大切な仕事で、国会だけが法律をつくることができます。さて、2011年3月11日に発生した東日本大震災(しんさい)。現在、復興のためさまざまな工事が行われていますが、これは国の予算を使って行われています。
オープニング
scene 06 ドキリ★国会が法律や予算などを決める
国民が納めた税金の使い方、国の「予算」を決めるのも、国会の役割です。たとえば、災害などが起こると国会議員はその場所に出向き、被害状況(ひがいじょうきょう)の確認や人々の要望を聞いて、必要な予算を考えます。そのほか、国民の健康や生活を守る社会保障費、公共の施設(しせつ)をつくる費用など、日本の予算は一年間でおよそ95兆円になります。国会には国民が選挙で選んだ代表が集まり、法律や予算などを決めます。
オープニング
scene 07 内閣の最高責任者「内閣総理大臣」
さて、国会で法律や予算が決まりました。これらを使って具体的に仕事をするのが、「内閣」です。そして、この内閣の最高責任者が、「内閣総理大臣」です。ところで、日本で最初の内閣総理大臣といえば?…。1885年、日本の初代内閣総理大臣に就任したのが、伊藤博文でした。
オープニング
scene 08 ドキリ★内閣は法律や予算に基づき国の政治を行う
内閣総理大臣を決めるのも、国会の大切な仕事です。国会によって選ばれた内閣総理大臣は、それぞれの専門分野を担当する国務大臣を任命し、内閣をつくります。内閣は、国会で決められた予算を使って、法律に従い、仕事を進めます。内閣のもとには、専門分野に分かれた府や省庁が置かれ、国の政治を行います。内閣は、国会で決められた法律や予算に基づき、国民の暮らしを支える仕事を行います。
オープニング
scene 09 憲法の三つの柱…
今日は、憲法の三つの柱の一つ、国民主権について学びましたが、ほかの柱を覚えていますか。次の柱は…。
くらしと政治③ 基本的人権と裁判所
くらしと政治③ 基本的人権と裁判所
scene 01 「基本的人権の尊重」
前回から国の政治の仕組みを見てきました。そして、国の在り方を定めた最も重要な決まりである「憲法」には、三つの大きな柱があることを学びました。今回は、その柱の二つ目、「基本的人権の尊重」について見ていきます。基本的人権とは、「自由」や「平等」など、だれもが持っている権利です。そして憲法によって保障されています。
オープニング
scene 02 ドキリ★憲法は国民全員に基本的人権を保障
基本的人権は、国民が生まれながらにして持っている権利です。たとえば、住む場所や職業を自由に選ぶことができる権利。自分の意見を自由に述べることができる権利。法のもとで平等にあつかわれる権利、などです。日本国憲法では、基本的人権を国民全員が持ち、だれもうばうことができない権利であることを保障しています。
オープニング
scene 03 憲法で保障された権利がおかされたら?
わたしたちは憲法で保障されたいろいろな権利を持っています。しかし、この大切な権利がもしおかされたら大変です。また、権利どうしがぶつかってトラブルになることもあるかもしれません。そんなときたよりになるのが「裁判所」です。次は、裁判所について見てみましょう。
オープニング
scene 04 法律に基づいて国民の権利を守る裁判所
わたしたちが生活するなかで、とつぜん交通事故にあったり、お金をめぐるもめごとなどさまざまなトラブルに巻きこまれたりすることがあります。解決しようとしてもうまくいかない場合、どうすればいいのでしょうか。そのために、裁判所があります。裁判所では、法律に基づいて争いごとを解決したり、罪の有る無しを判断したりして、国民の権利を守ります。
オープニング
scene 05 刑事裁判と民事裁判
裁判には大きく二つの種類があります。「刑事(けいじ)裁判」と「民事裁判」です。刑事裁判は、人を傷つける、物をうばうなどの犯罪をあつかいます。法廷(ほうてい)では裁判官のほかに被告人(ひこくにん)、弁護人、検察官が出席します。被告人は罪を犯したと疑われうったえられた人。弁護人は被告人の言い分を聞きその立場を守ります。検察官は裁判官に証拠(しょうこ)を示して被告人の処罰(しょばつ)を求めます。一方、民事裁判は、お金の貸し借りや、家や土地をめぐる争いごとなどの解決をめざします。裁判官はどちらの裁判でも、異なる立場の言い分をよく聞き、公正に判断しなければなりません。
オープニング
scene 06 「裁判員制度」のスタート
2009年からは、国民が刑事(けいじ)裁判に参加する「裁判員制度」がスタートしました。それまでの裁判は、法律の専門家である裁判官、弁護人、検察官が行っていたため、国民から、「裁判はむずかしい」とか「あの判決はわかりにくい」と言われることがありました。そのため、国民の意見や感覚を裁判に取り入れようと、一般(いっぱん)の人たち6人が加わる裁判員制度が始まったのです。
オープニング
scene 07 歴史にドキリ★豆知識
江戸時代には「町奉行(まちぶぎょう)」という役職が置かれ、うったえた人とうったえられた人を奉行が奉行所によびだして裁いていました。今の裁判制度とはかなりちがっていたのです。
オープニング
scene 08 判決に納得できないときは
では、裁判所の下した判決に納得がいかなかったときはどうすればいいのでしょうか。裁判のしくみを見ると、判決に納得できないときはさらに上の裁判所にうったえることができるようになっています。裁判をより慎重(しんちょう)に行い、まちがいがないようにするしくみなのです。さらに、裁判所にはほかにも大きな仕事があります。それはなんと、国の政治をチェックするという重要な役割です。
オープニング
scene 09 国の政治をチェックする役割
1996年、東京都内に住む人たちが国や東京都などをうったえて裁判を起こしました。うったえを起こしたのは、ぜんそくなどの病気に苦しむ人たちです。病気の原因となった排気(はいき)ガスの対策をおこたった責任が国などにあると主張しました。11年にわたる裁判の結果、裁判所はうったえた人たちの主張を認め、話し合いによる解決をすすめました。裁判所が国の政治をチェックすることで、わたしたちの暮らしや権利を守ることに大きな役割を果たしたのです。
オープニング
scene 10 ドキリ★権力の集中を防ぐ三権分立のしくみ
裁判所は、国が行う政治が憲法に違反(いはん)していないかを審査(しんさ)する権限も持っています。国会がつくった法律について、憲法に違反していないかを調べるのも裁判所の役割です。国の政治は、国会、内閣、裁判所の三つが、それぞれ立法、行政、司法の仕事を行っています。三つの機関がおたがいをチェックしあいながら政治を行うことで、一つの機関に権力が集中することを防ぐ。このしくみを「三権分立」といいます。日本の政治は、この三権分立によって成り立っているのです。
オープニング
scene 11 憲法の三つの柱…
ここまでは、憲法の三つの柱のうち、国民主権、基本的人権の尊重について見てきました。いよいよ最後は三つめの柱、「平和主義」です…。
scene 01 「基本的人権の尊重」
前回から国の政治の仕組みを見てきました。そして、国の在り方を定めた最も重要な決まりである「憲法」には、三つの大きな柱があることを学びました。今回は、その柱の二つ目、「基本的人権の尊重」について見ていきます。基本的人権とは、「自由」や「平等」など、だれもが持っている権利です。そして憲法によって保障されています。
オープニング
scene 02 ドキリ★憲法は国民全員に基本的人権を保障
基本的人権は、国民が生まれながらにして持っている権利です。たとえば、住む場所や職業を自由に選ぶことができる権利。自分の意見を自由に述べることができる権利。法のもとで平等にあつかわれる権利、などです。日本国憲法では、基本的人権を国民全員が持ち、だれもうばうことができない権利であることを保障しています。
オープニング
scene 03 憲法で保障された権利がおかされたら?
わたしたちは憲法で保障されたいろいろな権利を持っています。しかし、この大切な権利がもしおかされたら大変です。また、権利どうしがぶつかってトラブルになることもあるかもしれません。そんなときたよりになるのが「裁判所」です。次は、裁判所について見てみましょう。
オープニング
scene 04 法律に基づいて国民の権利を守る裁判所
わたしたちが生活するなかで、とつぜん交通事故にあったり、お金をめぐるもめごとなどさまざまなトラブルに巻きこまれたりすることがあります。解決しようとしてもうまくいかない場合、どうすればいいのでしょうか。そのために、裁判所があります。裁判所では、法律に基づいて争いごとを解決したり、罪の有る無しを判断したりして、国民の権利を守ります。
オープニング
scene 05 刑事裁判と民事裁判
裁判には大きく二つの種類があります。「刑事(けいじ)裁判」と「民事裁判」です。刑事裁判は、人を傷つける、物をうばうなどの犯罪をあつかいます。法廷(ほうてい)では裁判官のほかに被告人(ひこくにん)、弁護人、検察官が出席します。被告人は罪を犯したと疑われうったえられた人。弁護人は被告人の言い分を聞きその立場を守ります。検察官は裁判官に証拠(しょうこ)を示して被告人の処罰(しょばつ)を求めます。一方、民事裁判は、お金の貸し借りや、家や土地をめぐる争いごとなどの解決をめざします。裁判官はどちらの裁判でも、異なる立場の言い分をよく聞き、公正に判断しなければなりません。
オープニング
scene 06 「裁判員制度」のスタート
2009年からは、国民が刑事(けいじ)裁判に参加する「裁判員制度」がスタートしました。それまでの裁判は、法律の専門家である裁判官、弁護人、検察官が行っていたため、国民から、「裁判はむずかしい」とか「あの判決はわかりにくい」と言われることがありました。そのため、国民の意見や感覚を裁判に取り入れようと、一般(いっぱん)の人たち6人が加わる裁判員制度が始まったのです。
オープニング
scene 07 歴史にドキリ★豆知識
江戸時代には「町奉行(まちぶぎょう)」という役職が置かれ、うったえた人とうったえられた人を奉行が奉行所によびだして裁いていました。今の裁判制度とはかなりちがっていたのです。
オープニング
scene 08 判決に納得できないときは
では、裁判所の下した判決に納得がいかなかったときはどうすればいいのでしょうか。裁判のしくみを見ると、判決に納得できないときはさらに上の裁判所にうったえることができるようになっています。裁判をより慎重(しんちょう)に行い、まちがいがないようにするしくみなのです。さらに、裁判所にはほかにも大きな仕事があります。それはなんと、国の政治をチェックするという重要な役割です。
オープニング
scene 09 国の政治をチェックする役割
1996年、東京都内に住む人たちが国や東京都などをうったえて裁判を起こしました。うったえを起こしたのは、ぜんそくなどの病気に苦しむ人たちです。病気の原因となった排気(はいき)ガスの対策をおこたった責任が国などにあると主張しました。11年にわたる裁判の結果、裁判所はうったえた人たちの主張を認め、話し合いによる解決をすすめました。裁判所が国の政治をチェックすることで、わたしたちの暮らしや権利を守ることに大きな役割を果たしたのです。
オープニング
scene 10 ドキリ★権力の集中を防ぐ三権分立のしくみ
裁判所は、国が行う政治が憲法に違反(いはん)していないかを審査(しんさ)する権限も持っています。国会がつくった法律について、憲法に違反していないかを調べるのも裁判所の役割です。国の政治は、国会、内閣、裁判所の三つが、それぞれ立法、行政、司法の仕事を行っています。三つの機関がおたがいをチェックしあいながら政治を行うことで、一つの機関に権力が集中することを防ぐ。このしくみを「三権分立」といいます。日本の政治は、この三権分立によって成り立っているのです。
オープニング
scene 11 憲法の三つの柱…
ここまでは、憲法の三つの柱のうち、国民主権、基本的人権の尊重について見てきました。いよいよ最後は三つめの柱、「平和主義」です…。
くらしと政治④ 平和主義と世界の中の日本
くらしと政治④ 平和主義と世界の中の日本
scene 01 日本は今何をなすべきか
今日は日本国憲法三つ目の柱、「平和主義」についてです。日本は太平洋戦争で大きな犠牲(ぎせい)をはらいました。その体験から、日本国憲法の前文には、二度と戦争を起こさないという平和への決意が記されています。また憲法第9条では、外国との争いを武力で解決しないこと、そのための陸海空軍などの戦力を持たないことを定めています。平和主義をかかげた日本が今、世界の中で何をなすべきか。まずは、世界の平和と安全の実現のために努力している世界的な組織、「国際連合」=国連について、見てみましょう。
オープニング
scene 02 平和と安全のための国際連合
世界平和のために活動する組織、国連。現在、190か国以上の国々が加盟しています。国連は、第二次世界大戦が終わった1945年に、世界の51か国が集まり、発足。一つの国だけでは解決できないさまざまな問題に、各国が協力して取り組んできました。
オープニング
scene 03 国連のさまざまな機関
国連には、問題解決のためのさまざまな専門機関があります。たとえばユニセフ(国連児童基金)。戦争や災害、飢(う)えに苦しむ子どもたちへの救援(きゅうえん)活動を行う機関です。WHO(世界保健機関)は、伝染病の予防など人々の健康を守るための活動を行っています。日本も太平洋戦争のあと食料が不足し、学校給食など15年間にわたってユニセフから援助を受けました。2011年の東日本大震災でも、被災者(ひさいしゃ)の心のケアなどの援助を受けています。
オープニング
scene 04 ドキリ★国連の一員として世界平和に貢献する
国連がさまざまな活動をするための資金は、各国が分担して出します。日本はアメリカに次いで二番目。全体の10%あまりを負担しています。また、世界各地で起こる災害や紛争(ふんそう)地域に対しても、日本は積極的に救援(きゅうえん)活動を行っています。国同士が助け合う国連の活動。平和主義をかかげる日本だからこそ、世界の平和に貢献(こうけん)することが求められています。
オープニング
scene 05 世界のための援助活動の形
たとえば100円をユニセフに募金(ぼきん)すれば、ポリオワクチンを8人の子どもに接種することができます。わたしたち個人でも世界のために援助(えんじょ)を行うことができるのです。国連以外の援助活動には大きく分けて二つの形があります。一つは、国や政府が行うODA(政府開発援助)。鉄道や橋、ダムなど大規模な開発援助や、知識や技術を海外で活かす「青年海外協力隊」の活動などを行っています。そしてもう一つが、NGO(非政府組織)。民間が行う援助活動で、地域に密着したきめ細やかな援助が特徴(とくちょう)です。このNGOの援助活動の現場を見てみましょう。
オープニング
scene 06 途上国カンボジアで
東南アジアのインドシナ半島に位置するカンボジア。近年、著しい経済成長をとげる一方で、多くの貧しい人たちが暮らす開発途上国(とじょうこく)です。カンボジア中部にあるトンレサップ湖。東京都とほぼ同じ面積の湖で、100万人もの人々が水の上に家を作って暮らしています。漁業を中心とした人々の収入は、日本円で月およそ8000円。カンボジアの中でも、貧しい家庭が多い地域です。
オープニング
scene 07 NGOが開設した診療所
ここに、欧米(おうべい)のNGOが5年前に開設した診療所(しんりょうじょ)があります。この診療所で看護師として働く日本人の前原(まえはら)とよみさん。20年におよぶ看護師の経験を買われ、一年半前からこの診療所に勤めています。大学卒業後、新生児センターで働いていた前原さん。海外で人々の役に立ちたいと、31歳(さい)のときカンボジアの小児病院で働き始めました。そのとき、無償(むしょう)で医療(いりょう)活動を行うこのNGOの存在を知り、活動に加わったのです。
オープニング
scene 08 子どもたちの栄養状態を改善したい
前原さんが今いちばん気にかけているのが、子どもたちの栄養状態です。6歳(さい)のキアちゃんは、体が弱く、この一年体重がまったく増えていません。キアちゃんの家の収入は、月3000円。村でも特に貧しく、十分な栄養がとれていません。なんとか子どもたちに栄養をとってもらう方法はないか。前原さんは、村で唯一(ゆいいつ)野菜作りをしている家があると聞いてさっそく見学に行きました。野菜は土を盛ったいかだの上で育てられていました。これならどの家庭でも栽培(さいばい)できそうです。
オープニング
scene 09 ドキリ★地域や住民に密着した息の長い援助活動を
前原さんは、村の人たちに野菜の栽培(さいばい)をよびかけることにしました。今ある条件の中で、できることを少しずつ。地道な援助(えんじょ)活動が続きます。「すごいことを一回するよりも、すごいことじゃなくてもいいからずっと続けることが大切で、“細く長く”なんですよね」(前原さん)。ともになやみ、考える。地域や住民に密着した援助活動に取り組む前原さんのような日本人が、世界各地で活躍(かつやく)しています。
オープニング
scene 10 あなたの国際協力のスタート!
今回は、憲法で「平和主義」をかかげる日本が行っている国際協力について見てきました。こうしている今も、世界には戦争や災害、飢(う)えに苦しんでいる人たちがいます。もしそれが、自分や家族だったら…。心が“ドキリ”としたとき、それがあなたの国際協力のスタートになるかもしれません。そう、よりよい未来をめざして!
scene 01 日本は今何をなすべきか
今日は日本国憲法三つ目の柱、「平和主義」についてです。日本は太平洋戦争で大きな犠牲(ぎせい)をはらいました。その体験から、日本国憲法の前文には、二度と戦争を起こさないという平和への決意が記されています。また憲法第9条では、外国との争いを武力で解決しないこと、そのための陸海空軍などの戦力を持たないことを定めています。平和主義をかかげた日本が今、世界の中で何をなすべきか。まずは、世界の平和と安全の実現のために努力している世界的な組織、「国際連合」=国連について、見てみましょう。
オープニング
scene 02 平和と安全のための国際連合
世界平和のために活動する組織、国連。現在、190か国以上の国々が加盟しています。国連は、第二次世界大戦が終わった1945年に、世界の51か国が集まり、発足。一つの国だけでは解決できないさまざまな問題に、各国が協力して取り組んできました。
オープニング
scene 03 国連のさまざまな機関
国連には、問題解決のためのさまざまな専門機関があります。たとえばユニセフ(国連児童基金)。戦争や災害、飢(う)えに苦しむ子どもたちへの救援(きゅうえん)活動を行う機関です。WHO(世界保健機関)は、伝染病の予防など人々の健康を守るための活動を行っています。日本も太平洋戦争のあと食料が不足し、学校給食など15年間にわたってユニセフから援助を受けました。2011年の東日本大震災でも、被災者(ひさいしゃ)の心のケアなどの援助を受けています。
オープニング
scene 04 ドキリ★国連の一員として世界平和に貢献する
国連がさまざまな活動をするための資金は、各国が分担して出します。日本はアメリカに次いで二番目。全体の10%あまりを負担しています。また、世界各地で起こる災害や紛争(ふんそう)地域に対しても、日本は積極的に救援(きゅうえん)活動を行っています。国同士が助け合う国連の活動。平和主義をかかげる日本だからこそ、世界の平和に貢献(こうけん)することが求められています。
オープニング
scene 05 世界のための援助活動の形
たとえば100円をユニセフに募金(ぼきん)すれば、ポリオワクチンを8人の子どもに接種することができます。わたしたち個人でも世界のために援助(えんじょ)を行うことができるのです。国連以外の援助活動には大きく分けて二つの形があります。一つは、国や政府が行うODA(政府開発援助)。鉄道や橋、ダムなど大規模な開発援助や、知識や技術を海外で活かす「青年海外協力隊」の活動などを行っています。そしてもう一つが、NGO(非政府組織)。民間が行う援助活動で、地域に密着したきめ細やかな援助が特徴(とくちょう)です。このNGOの援助活動の現場を見てみましょう。
オープニング
scene 06 途上国カンボジアで
東南アジアのインドシナ半島に位置するカンボジア。近年、著しい経済成長をとげる一方で、多くの貧しい人たちが暮らす開発途上国(とじょうこく)です。カンボジア中部にあるトンレサップ湖。東京都とほぼ同じ面積の湖で、100万人もの人々が水の上に家を作って暮らしています。漁業を中心とした人々の収入は、日本円で月およそ8000円。カンボジアの中でも、貧しい家庭が多い地域です。
オープニング
scene 07 NGOが開設した診療所
ここに、欧米(おうべい)のNGOが5年前に開設した診療所(しんりょうじょ)があります。この診療所で看護師として働く日本人の前原(まえはら)とよみさん。20年におよぶ看護師の経験を買われ、一年半前からこの診療所に勤めています。大学卒業後、新生児センターで働いていた前原さん。海外で人々の役に立ちたいと、31歳(さい)のときカンボジアの小児病院で働き始めました。そのとき、無償(むしょう)で医療(いりょう)活動を行うこのNGOの存在を知り、活動に加わったのです。
オープニング
scene 08 子どもたちの栄養状態を改善したい
前原さんが今いちばん気にかけているのが、子どもたちの栄養状態です。6歳(さい)のキアちゃんは、体が弱く、この一年体重がまったく増えていません。キアちゃんの家の収入は、月3000円。村でも特に貧しく、十分な栄養がとれていません。なんとか子どもたちに栄養をとってもらう方法はないか。前原さんは、村で唯一(ゆいいつ)野菜作りをしている家があると聞いてさっそく見学に行きました。野菜は土を盛ったいかだの上で育てられていました。これならどの家庭でも栽培(さいばい)できそうです。
オープニング
scene 09 ドキリ★地域や住民に密着した息の長い援助活動を
前原さんは、村の人たちに野菜の栽培(さいばい)をよびかけることにしました。今ある条件の中で、できることを少しずつ。地道な援助(えんじょ)活動が続きます。「すごいことを一回するよりも、すごいことじゃなくてもいいからずっと続けることが大切で、“細く長く”なんですよね」(前原さん)。ともになやみ、考える。地域や住民に密着した援助活動に取り組む前原さんのような日本人が、世界各地で活躍(かつやく)しています。
オープニング
scene 10 あなたの国際協力のスタート!
今回は、憲法で「平和主義」をかかげる日本が行っている国際協力について見てきました。こうしている今も、世界には戦争や災害、飢(う)えに苦しんでいる人たちがいます。もしそれが、自分や家族だったら…。心が“ドキリ”としたとき、それがあなたの国際協力のスタートになるかもしれません。そう、よりよい未来をめざして!
第41回 戦争 そして戦後
第41回 戦争 そして戦後
■ scene 01 明治以降の激動の時代
中村獅童(なかむら・しどう)歴史研究所では、日本の歴史に名を残した人々の業績やその思いを研究してきました。
古代、占(うらな)いで国を治めた卑弥呼(ひみこ)から、明治の小説家・夏目漱石まで、すばらしい才能と懸命(けんめい)な努力をした人ばかりでした。
『歴史にドキリ』。
今回は、明治以降の激動の時代を見ることにしましょう。
■ scene 02 外国との戦争を経験していく日本
明治時代、「富国強兵」をかかげた日本は、やがて外国との大きな戦争を経験します。
1894年には清(しん)、今の中国と、1904年にはロシアと戦争し、ともに勝利してアジアの強国となりました。
しかし、昭和に入ると、世界中が不景気になり、都市では失業者が増加。
農村では不作が続き、経済は停滞(ていたい)します。
日本はこれを打開しようと考え、中国の東北部に満州国(まんしゅうこく)をつくります。
そして、広大な土地と豊かな資源を求め、中国各地を武力で次々と占領(せんりょう)。
日中戦争となりました。
■ scene 03 すべての国民を巻きこんだ太平洋戦争
日本はさらに、石油や鉄などを求めて東南アジアや太平洋の島々にも軍隊を進めます。
この動きを警戒(けいかい)したアメリカやイギリスなどは、石油の輸出を禁止するといった制裁を日本に加えました。
これに反発した日本は、1941年、ハワイにあるアメリカ軍の基地を爆撃(ばくげき)。
太平洋戦争が始まりました。
日本では男の人が次々に戦場に送り出され、残った女性たちも、国を守るためにと訓練を重ねました。
武器を作る工場で働く子どもたち。
すべての国民が戦争のうずの中に巻きこまれていったのです。
■ scene 04 ドキリ★15年間、戦争を続け多くの犠牲をはらった
アメリカを中心とする連合軍は、圧倒(あっとう)的な軍事力で日本軍を各地で破り、やがて日本本土への空襲(くうしゅう)を開始します。
その空襲から子どもたちを守るために、安全な地方に移動させる「疎開(そかい)」も行われました。
勉強以外に農作業も行うなど、きびしい毎日。
親と遠くはなれた生活は、さびしくつらいものでした。
そして、1945年8月6日に広島、9日には長崎に原子爆弾(ばくだん)が落とされ、一瞬(いっしゅん)にして何万人もの人々が亡くなりました。
8月15日、日本は降伏(こうふく)。
日本だけでも300万人以上の犠牲(ぎせい)をはらった戦争は終わりました。
■ scene 05 戦後の日本の道のりは
国と国、人と人が争い、多くの命がうばわれた戦争。
わたしたちの両親や祖父母が実際に体験した歴史です。
では、戦争を終えた日本が、その後どのような道のりをたどって今の社会をつくったのか、見てみましょう。
■ scene 06 平和をねがう民主的な国家として
戦後の日本は、アメリカを中心とする連合軍に占領(せんりょう)され、民主的な国家として歩み始めます。
新しい憲法「日本国憲法」では、国民が主権を持つこと、すべての人が持つ「人間としての権利」を尊重すること、そして、永久に戦争をしないことが定められました。
1950年、朝鮮戦争が起き、アメリカ軍から物資の発注を受けたことで、日本経済は活気を帯びます。
1951年のサンフランシスコ講和会議で、日本は48か国と平和条約を結び、国際社会に復帰します。
日本経済はその後も発展を続け、高度経済成長が始まります。
■ scene 07 世界第2の経済大国へ
そして1964年、アジアで初めてのオリンピックが東京で開かれました。
競技会場をはじめ、高速道路や新幹線が建設され、日本の復興と発展を世界に示しました。
一般(いっぱん)の家庭にも、テレビや冷蔵庫、洗濯(せんたく)機などの電気製品が普及(ふきゅう)しました。
1970年代には、カラーテレビ、クーラー、自動車が人々のあこがれとなり、生活はどんどん豊かになりました。
敗戦からわずか20年あまりで急速な経済成長をとげた日本は、当時、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となりました。
■ scene 08 ドキリ★急速な経済成長をとげ先進国となった
それからおよそ40年。昭和から平成にかわった今も、日本は先進国の一つとして歩んでいます。
民族や宗教のちがいから生まれる紛争(ふんそう)。
無差別に人の命をうばうテロ。
世界的に進む環境破壊(かんきょうはかい)。
こうした世界の問題に、日本はどう向き合うのか。
敗戦から立ち直り、急速な経済成長をとげ、豊かな生活を手に入れた日本だからこそできることがあるはずです。
■ scene 09 「歴史ほどドキリとするものはない」
明治から昭和、そして平成の今。
今という時は、その前の何百年、何千年という長い歴史とつながっています。
そして、目の前に広がる「明日」という未来。
過去から未来へ、歴史をつなぐのは、あなた方です。
「♪歴史ほど ドキリわくわく 心おどるものはない…♪」。
それでは、また会いましょう!
■ scene 01 明治以降の激動の時代
中村獅童(なかむら・しどう)歴史研究所では、日本の歴史に名を残した人々の業績やその思いを研究してきました。
古代、占(うらな)いで国を治めた卑弥呼(ひみこ)から、明治の小説家・夏目漱石まで、すばらしい才能と懸命(けんめい)な努力をした人ばかりでした。
『歴史にドキリ』。
今回は、明治以降の激動の時代を見ることにしましょう。
■ scene 02 外国との戦争を経験していく日本
明治時代、「富国強兵」をかかげた日本は、やがて外国との大きな戦争を経験します。
1894年には清(しん)、今の中国と、1904年にはロシアと戦争し、ともに勝利してアジアの強国となりました。
しかし、昭和に入ると、世界中が不景気になり、都市では失業者が増加。
農村では不作が続き、経済は停滞(ていたい)します。
日本はこれを打開しようと考え、中国の東北部に満州国(まんしゅうこく)をつくります。
そして、広大な土地と豊かな資源を求め、中国各地を武力で次々と占領(せんりょう)。
日中戦争となりました。
■ scene 03 すべての国民を巻きこんだ太平洋戦争
日本はさらに、石油や鉄などを求めて東南アジアや太平洋の島々にも軍隊を進めます。
この動きを警戒(けいかい)したアメリカやイギリスなどは、石油の輸出を禁止するといった制裁を日本に加えました。
これに反発した日本は、1941年、ハワイにあるアメリカ軍の基地を爆撃(ばくげき)。
太平洋戦争が始まりました。
日本では男の人が次々に戦場に送り出され、残った女性たちも、国を守るためにと訓練を重ねました。
武器を作る工場で働く子どもたち。
すべての国民が戦争のうずの中に巻きこまれていったのです。
■ scene 04 ドキリ★15年間、戦争を続け多くの犠牲をはらった
アメリカを中心とする連合軍は、圧倒(あっとう)的な軍事力で日本軍を各地で破り、やがて日本本土への空襲(くうしゅう)を開始します。
その空襲から子どもたちを守るために、安全な地方に移動させる「疎開(そかい)」も行われました。
勉強以外に農作業も行うなど、きびしい毎日。
親と遠くはなれた生活は、さびしくつらいものでした。
そして、1945年8月6日に広島、9日には長崎に原子爆弾(ばくだん)が落とされ、一瞬(いっしゅん)にして何万人もの人々が亡くなりました。
8月15日、日本は降伏(こうふく)。
日本だけでも300万人以上の犠牲(ぎせい)をはらった戦争は終わりました。
■ scene 05 戦後の日本の道のりは
国と国、人と人が争い、多くの命がうばわれた戦争。
わたしたちの両親や祖父母が実際に体験した歴史です。
では、戦争を終えた日本が、その後どのような道のりをたどって今の社会をつくったのか、見てみましょう。
■ scene 06 平和をねがう民主的な国家として
戦後の日本は、アメリカを中心とする連合軍に占領(せんりょう)され、民主的な国家として歩み始めます。
新しい憲法「日本国憲法」では、国民が主権を持つこと、すべての人が持つ「人間としての権利」を尊重すること、そして、永久に戦争をしないことが定められました。
1950年、朝鮮戦争が起き、アメリカ軍から物資の発注を受けたことで、日本経済は活気を帯びます。
1951年のサンフランシスコ講和会議で、日本は48か国と平和条約を結び、国際社会に復帰します。
日本経済はその後も発展を続け、高度経済成長が始まります。
■ scene 07 世界第2の経済大国へ
そして1964年、アジアで初めてのオリンピックが東京で開かれました。
競技会場をはじめ、高速道路や新幹線が建設され、日本の復興と発展を世界に示しました。
一般(いっぱん)の家庭にも、テレビや冷蔵庫、洗濯(せんたく)機などの電気製品が普及(ふきゅう)しました。
1970年代には、カラーテレビ、クーラー、自動車が人々のあこがれとなり、生活はどんどん豊かになりました。
敗戦からわずか20年あまりで急速な経済成長をとげた日本は、当時、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となりました。
■ scene 08 ドキリ★急速な経済成長をとげ先進国となった
それからおよそ40年。昭和から平成にかわった今も、日本は先進国の一つとして歩んでいます。
民族や宗教のちがいから生まれる紛争(ふんそう)。
無差別に人の命をうばうテロ。
世界的に進む環境破壊(かんきょうはかい)。
こうした世界の問題に、日本はどう向き合うのか。
敗戦から立ち直り、急速な経済成長をとげ、豊かな生活を手に入れた日本だからこそできることがあるはずです。
■ scene 09 「歴史ほどドキリとするものはない」
明治から昭和、そして平成の今。
今という時は、その前の何百年、何千年という長い歴史とつながっています。
そして、目の前に広がる「明日」という未来。
過去から未来へ、歴史をつなぐのは、あなた方です。
「♪歴史ほど ドキリわくわく 心おどるものはない…♪」。
それでは、また会いましょう!
くらしと政治① わたしたちのくらしと行政
くらしと政治① わたしたちのくらしと行政
scene 01 安心してくらしていける町づくり
ここは、中村獅童(なかむら・しどう)歴史研究所。所長の中村獅童さんが、ゴミの分別をしています。ところで、このゴミはだれが回収してくれるか知っていますか。小さい子どもからお年寄りまで、わたしたちが安心してくらしていける町づくりは、だれがやっているのでしょうか。みんなが幸せに生活していくために必要な、政治や社会のさまざまなことがらについて学んでいきましょう。『歴史にドキリ・特別編 くらしと政治』。まずは、わたしたちの身近な「政治」から見ていきます。
オープニング
scene 02 役所の仕事「行政」
わたしたちが安心してくらせる町づくりを行っているのは、市や町などにある役所です。その役所の仕事を「行政」といいます。神奈川県厚木(あつぎ)市役所でも、市民のために多くの仕事を行っています。市民課は、引っこしてきた人や新しく生まれた子どもの登録などが仕事です。ゴミの処理は環境(かんきょう)事業課の担当。火災や救急に備える消防署は、24時間体制で厚木市民の安全を守ります。危機管理課は地震(じしん)などの大きな災害に備えています。厚木市では、2011年に起きた東日本大震災を受け、防災対策をより強化しました。
オープニング
scene 03 ドキリ★どんなときも安心して過ごせるように
たとえば、災害時に市民を安全な場所に誘導(ゆうどう)したり、毛布や食料の配布場所を伝えたりする防災行政無線。厚木市役所では2012年に、無線が聞こえづらい地区を洗い出し、新たに10基設置しました。ガス、水道、電気が止まってしまったときの食料の確保についても見直し、25,000人分の食料や毛布を保管しています。さらに、家に帰る交通手段がなくなってしまった人たちが一時的に避難(ひなん)できる場所を新たに設置しました。役所が行う仕事、「行政」。わたしたちがどんなときも安心して過ごせるように、役所はさまざまな対策をすすめています。
オープニング
scene 04 行政が使うお金はどこから?
行政が使うお金はいったいどこから出ているのでしょうか。ヒントは、買い物をしたときのレシート。そこには「消費税」の文字があります。そう、行政にかかる費用は、「税金」でまかなわれています。みんながお金を出し合って、安心してくらせる町づくりをしているのです。では、どのように税金が使われているのか、見てみましょう。
オープニング
scene 05 市民が納める税金で
行政の仕事を行うための費用は、市民が納める税金などでまかなわれています。税金は、いろいろな形で納められます。働いて受け取る給料からは、住民税を直接市区町村に納めます。また、買い物をしたときにかかる消費税は、いったん国に納め、その一部を国が市区町村に分配します。市民が納める税金や国からの補助など、厚木市では年間およそ750億円が行政に使われています。
オープニング
scene 06 歴史にドキリ★豆知識
日本の「税」に関する最も古い記録は、今からおよそ1800年前の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に書かれています。卑弥呼(ひみこ)が治めていた邪馬台国(やまたいこく)では、税を納めていたといわれています。納めていたのは、植物の種や織物だったと考えられています。
オープニング
scene 07 大切な税金を使うために
大切な税金は、市民の願いを実現するために使われなければなりません。そのために市では、聞き取り調査をしたり、アンケートをとったりして、市民の声を集めます。そして、予算や計画案を立てます。こうしてまとめられた案は、市民によって選挙で選ばれた議員が議論し、実行するかどうかを決定します。
オープニング
scene 08 ドキリ★税金は市民の願いを実現するために使われる
市民の声をもとに始まったさまざまな事業。新潟県上越(じょうえつ)市では、市が車と運転手などの費用を負担して移動販売(はんばい)を行っています。町から遠く買い物が不便な地域に、生活必需(ひつじゅ)品を届けます。横浜市には自宅の近くに子どもを預けられる施設(しせつ)がないという声が寄せられ、保育園を新たにつくりました。さらに、「保育コンシェルジュ」という保育専門の相談員を配置して、保護者の相談を受けています。わたしたちの税金は、市民の願いを実現する行政の仕事に使われています。
オープニング
scene 09 ユニークな行政の取り組み
ちょっとユニークな行政の取り組みもあります。東京都葛飾(かつしか)区役所には「すぐやる課」という課があります。スズメバチの駆除(くじょ)など、区民からの相談事にすばやく対応します。埼玉県鴻巣(こうのす)市役所では、市民のボランティアや観光協会と協力して『びっくりひな祭り』を毎年行っています。およそ380年もの歴史がある町の伝統工芸を守っているのです。沖縄県石垣(いしがき)市役所は、サンゴを食いあらすオニヒトデを駆除(くじょ)しています。沖縄のきれいな海を守ることにも行政は一役かっているのです。
オープニング
scene 10 みんなの町はみんなでつくる
みんなの町は、みんなでつくる。行政にまかせっきりにしないで、自分たちが納めた税金がどのように使われているのかを知ることも大切です。
scene 01 安心してくらしていける町づくり
ここは、中村獅童(なかむら・しどう)歴史研究所。所長の中村獅童さんが、ゴミの分別をしています。ところで、このゴミはだれが回収してくれるか知っていますか。小さい子どもからお年寄りまで、わたしたちが安心してくらしていける町づくりは、だれがやっているのでしょうか。みんなが幸せに生活していくために必要な、政治や社会のさまざまなことがらについて学んでいきましょう。『歴史にドキリ・特別編 くらしと政治』。まずは、わたしたちの身近な「政治」から見ていきます。
オープニング
scene 02 役所の仕事「行政」
わたしたちが安心してくらせる町づくりを行っているのは、市や町などにある役所です。その役所の仕事を「行政」といいます。神奈川県厚木(あつぎ)市役所でも、市民のために多くの仕事を行っています。市民課は、引っこしてきた人や新しく生まれた子どもの登録などが仕事です。ゴミの処理は環境(かんきょう)事業課の担当。火災や救急に備える消防署は、24時間体制で厚木市民の安全を守ります。危機管理課は地震(じしん)などの大きな災害に備えています。厚木市では、2011年に起きた東日本大震災を受け、防災対策をより強化しました。
オープニング
scene 03 ドキリ★どんなときも安心して過ごせるように
たとえば、災害時に市民を安全な場所に誘導(ゆうどう)したり、毛布や食料の配布場所を伝えたりする防災行政無線。厚木市役所では2012年に、無線が聞こえづらい地区を洗い出し、新たに10基設置しました。ガス、水道、電気が止まってしまったときの食料の確保についても見直し、25,000人分の食料や毛布を保管しています。さらに、家に帰る交通手段がなくなってしまった人たちが一時的に避難(ひなん)できる場所を新たに設置しました。役所が行う仕事、「行政」。わたしたちがどんなときも安心して過ごせるように、役所はさまざまな対策をすすめています。
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scene 04 行政が使うお金はどこから?
行政が使うお金はいったいどこから出ているのでしょうか。ヒントは、買い物をしたときのレシート。そこには「消費税」の文字があります。そう、行政にかかる費用は、「税金」でまかなわれています。みんながお金を出し合って、安心してくらせる町づくりをしているのです。では、どのように税金が使われているのか、見てみましょう。
オープニング
scene 05 市民が納める税金で
行政の仕事を行うための費用は、市民が納める税金などでまかなわれています。税金は、いろいろな形で納められます。働いて受け取る給料からは、住民税を直接市区町村に納めます。また、買い物をしたときにかかる消費税は、いったん国に納め、その一部を国が市区町村に分配します。市民が納める税金や国からの補助など、厚木市では年間およそ750億円が行政に使われています。
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scene 06 歴史にドキリ★豆知識
日本の「税」に関する最も古い記録は、今からおよそ1800年前の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』に書かれています。卑弥呼(ひみこ)が治めていた邪馬台国(やまたいこく)では、税を納めていたといわれています。納めていたのは、植物の種や織物だったと考えられています。
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scene 07 大切な税金を使うために
大切な税金は、市民の願いを実現するために使われなければなりません。そのために市では、聞き取り調査をしたり、アンケートをとったりして、市民の声を集めます。そして、予算や計画案を立てます。こうしてまとめられた案は、市民によって選挙で選ばれた議員が議論し、実行するかどうかを決定します。
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scene 08 ドキリ★税金は市民の願いを実現するために使われる
市民の声をもとに始まったさまざまな事業。新潟県上越(じょうえつ)市では、市が車と運転手などの費用を負担して移動販売(はんばい)を行っています。町から遠く買い物が不便な地域に、生活必需(ひつじゅ)品を届けます。横浜市には自宅の近くに子どもを預けられる施設(しせつ)がないという声が寄せられ、保育園を新たにつくりました。さらに、「保育コンシェルジュ」という保育専門の相談員を配置して、保護者の相談を受けています。わたしたちの税金は、市民の願いを実現する行政の仕事に使われています。
オープニング
scene 09 ユニークな行政の取り組み
ちょっとユニークな行政の取り組みもあります。東京都葛飾(かつしか)区役所には「すぐやる課」という課があります。スズメバチの駆除(くじょ)など、区民からの相談事にすばやく対応します。埼玉県鴻巣(こうのす)市役所では、市民のボランティアや観光協会と協力して『びっくりひな祭り』を毎年行っています。およそ380年もの歴史がある町の伝統工芸を守っているのです。沖縄県石垣(いしがき)市役所は、サンゴを食いあらすオニヒトデを駆除(くじょ)しています。沖縄のきれいな海を守ることにも行政は一役かっているのです。
オープニング
scene 10 みんなの町はみんなでつくる
みんなの町は、みんなでつくる。行政にまかせっきりにしないで、自分たちが納めた税金がどのように使われているのかを知ることも大切です。
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