Thứ Ba, 2 tháng 7, 2013

中院案内

中院案内 

境内の花や木々が季節の風物詩に 

NPO法人武蔵観研  会長       

                                       

中院は1100年以上の歴史を誇る天台宗別格本山である。境内は整然静寂で、季節の花や木々が人々の心を洗う。本稿では、観光面にもスポットをあて、季節の花と植物の名所でもある中院をめぐりをおこなう。[リード]

                                       

石柱と風格ある山門 [小見出し]

  中院の玄関は、ひときわ大きな風格ある山門である。山門前には2つの石柱が立ち「天台宗星野山中院」「日蓮聖人伝法灌頂之寺」の銘がある。また山門には「元関東八箇檀林」「天台宗別格本山」の門札が懸かっている。
  中院は、喜多院共々、天台宗星野山に属する。また寺伝によると、日蓮中院にて尊海より伝法灌頂(でんぼうかんじょう、指導者免状)を受け
  「関東八箇檀林」とは、関東の僧侶養成8寺院のことである。中院、大光普照寺(児玉郡)、龍蔵寺(前橋市)、月山(がっさん)寺(桜川市)、薬王院(水戸市)、不動院(茨城県稲敷郡)、逢善寺(ほうぜん)寺(茨城県稲敷郡)、長福寿寺(千葉県長生郡)の8寺である。

  「天台宗別格本山」とは、天台宗の本山に準じた特別な格式をもつ寺院のことで、中院はかつては関東天台580寺を統べていた。

落ち着いた雰囲気の境内 [小見出し]

  一礼して、山門をくぐると、整然として静かで落ち着いた雰囲気の境内が出迎える。「境内の季節の花と植物」が中院の名物である。3月のシダレザクラ、10月のキンモクセイが2傑である。本堂前のシダレザクラは樹齢100年以上を誇り、キンモクセイは関東有数の大樹である。
  ソメイヨシノ、カンヒザクラ、モクレン、ツツジ、ハクウンボク、沙羅双樹、モミジ、イチョウなどほぼ50種の植物が境内をいろどる。寺域は川越市の「ふるさと歩道」となっており、季節を変えて訪れる人が多い。

出世観音 [小見出し]

  本堂前の境内では出世観音がたたずんでいる。

島崎藤村ゆかりの茶室 [小見出し]

  不染亭(ふせんてい)は島崎藤村が義母に贈った茶室で、川越の文化財となっている。現在でも茶道を楽しむ人々に利用される。

上品で落ち着きのある本堂 [小見出し]

  中院は小仙波町5-15-1にあリ、正式名は星野山無量寿寺中院である。無量寿とは阿弥陀仏のことで、阿弥陀仏の寿命は無量(無限)である。本尊は阿弥陀如来である。2030年には建立1200年を迎える。
「本堂の屋根では、唐獅子牡丹の像が参詣者をお守りしています。
獅子は動物の王者、ボタンは花の王者です。
お寺に入る時は一礼し、本堂にもお参りしてください」(仁平雄俊住職)。

古格ある赤門 [小見出し]

  古格ある赤門は山門の北側にあリ、500年近く前の建立になる。「特別保護建造物」(此門400年前建物取調書編入 明治36年埼玉県)の門標が見える。

「狭山茶 発祥の地」の石碑 [小見出し]

  狭山茶は、石碑によれば、円仁が京から、薬用として眠気防止のために中院で栽培したのが始まりである。茶の栽培は、一帯にひろがり河越茶とな り、狭山茶となった。狭山茶は 「色は静岡、香りは宇治よ、味は狭山でとどめさす」とうたわれるように深みのある味で知られる。


仏足石 [小見出し]

  釈迦堂横には刻線が映える仏足石が鎮座する。玄奘三蔵(げんじょうさんぞう、602- 664)の日本人弟子・道昭が請来したものを千数百年ぶりに再刻したもので川越で唯一のものである。仏足石とは釈迦の足裏刻んだ石のことで、古代インドでは仏像を造る習慣がなかった。

釈迦堂 [小見出し]

  釈迦堂は、比叡山延暦寺の天台様式の釈迦堂にならい建立されたもので、毎年花まつりが開催される。本尊の釈迦牟尼如来は、高村晴雲作である。

墓域には太陽寺一族の墓所も [小見出し]

  墓域には、川越藩主・秋元家の家老を務めた太陽寺氏の3基の墓碑がある。太陽寺盛胤もりたね)は、川越の地誌多濃武の雁たのむのかり)』で、侍屋敷武家川越城城下町、寺社の来歴、旧跡、伝説を記述した。墓碑には太陽の紋章が刻まれている。
  他に、島崎藤村の義母の墓 成田山川越別院の開祖・石川照温上人の墓も。

だれでも助ける六地蔵 [小見出し]

  地蔵菩薩は、天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道へ出かけ「人助け」をする。六道のどこへでも気軽に出かけるので人気がある六地蔵がここにも

鐘楼は門の上に [小見出し]

  中院の鐘楼は珍しいことに門の上に据えられている。木々のアーチを背景にした鐘楼
の光景は絶景である

1100年以上の中院の歴史 [小見出し]

  830 円仁(えんにん)が創建。1296年尊海が無量寿寺として再興。のちに無量寿寺の子院北院(のちの喜多院)、南院(廃寺)が加わる。1301年東国580ヶ寺の本山に。1633年 東照宮造営にあたり現在地へ移転1976年天台宗別格本山特別寺の称号を受ける
  円仁(794 - 864)は、第3代天台座主(ざす)。最澄の弟子で、在唐10年。『入唐求法巡礼行記(にっとう ぐほう じゅんれいこうき)』を表わす。玄奘(げんじよう)の「大唐西域記」、マルコ・ポーロの「東方見聞録」ととも に、三大旅行記のひとつ。
    尊海(1253-  1332)は 比企郡慈光寺の住持をつとめたのち比叡山で修行。帰郷して中院を再興する。

中院は寺子屋で地域文化の継承に注力 [小見出し]

 中院は地域文化の継承に注力している。大人の寺子屋では、座禅、写経、茶道、陶芸、墨彩画、仏像彫刻、謡と仕舞などのクラスが開催される。


【お礼】

仁平(にひら)雄俊住職、仁平広海 副住職からお話をうかがいました。記して感謝します。文責は桑原政則にあります。

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