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神田正。近影 2013/8 |
★ 12月17日(火) ハイデイ日高・神田正の人生談義(仮題)
話術に定評のある神田正会長の人生談義をお楽しみください。
日 時: 12月17日(火) 18時30分より20時すぎまで
会 場:湯遊ランド地階 (湯遊ランドでは、エスカレータで2階にあがり、履物をはきかえ、
フロント奥のエレベータで地階へ降りてください。)
出席状:
出席状*座席数確保のためお送りください。
*原則として送信の時点で参加OKです。
より大きな地図で 湯遊ランド、ホテル三光 を表示地 図:http://g.co/maps/nnq6m
参 加:1000円
時 程:18:30- 19:00連絡事項他、19:00より40分~1時間程度のスピーチ。
そのあと質疑、自由参加の懇親会(実費)。NPO法人武蔵観研: http://www.musashikanken.com/
問い合わせ:musashikanken*gmail.com (*を@に変更してください。)
◇ ◆ ◇
【神田正 プロフィール】 文責:桑原政則
1941年(昭和16年)、日高市に生まれます。
父は、傷痍軍人で働くことができませんでした。
家は貧しく、小6より霞ヶ関カンツリー倶楽部(2020年オリンピックゴルフ場)でキャディをします。
小学生では神田正のみでした。
身振り手振りで、アメリカ人の相手もしました。
中学生になると、キャディに加え、新聞配達を始めました。
卒業後は、箪笥の金具を作る製作所、浄水場の塀作り、鉄工所でのベアリング作り、運送屋、土建屋、キャバレーのボーイなど、15もの職を転々とした。
高萩中学校中学卒業後、ホンダの正社員になりますが 1年半で退職します。
さいたま市のラーメン店で働き始めます。
1968年27歳の時、さいたま市岩槻のラーメン店で働いた後、雇われ店主となります。
スナック経営に手を出し、1年後にラーメン店も閉店に追い込まれてしまいます。
1973年32歳の時、大宮駅前北銀座に、5坪のラーメン店「来来軒」を開店します。
出前に注力し、
明け方近くまで働きます。
店の小上がりで寝起きします。
*消え行く、屋台ラーメンの代わりとなっていきます。
2年後の1975年34歳の時、大宮南銀座店に2号店を開店します。
この頃、
会社員が昼食を外でとるケースがふえた事に気づきます。
ラーメン店の多店舗展開を考えます。
実弟の町田功(現取締役)、義弟の高橋均(現社長)を説得し、会社組織にすることを提案します。
一般的なチェーンは、車社会の到来を受けて、郊外型の大型店舗が主流でした。
「私は、逆に
駅前一等地への出店にこだわりました。
安くて手軽なラーメンをサラリーマンに提供するためです。」
*徹底した駅前立地戦略
*長時間営業でアルコール比率を高めれば、駅前の高い家賃もまかなえます。
*
経営計画発表会を始めます。
1978年3月、有限会社日高商事を設立し、代表取締役社長に就任します。
1983年10月、有限会社から株式会社に改組します。
1984年、大宮にセントラルキッチン三橋工場を開設し、食材の製造も始めます。
1993年、都内1号店を赤羽に開店し、都内進出を果たします。
1993年、居酒屋「文楽座」1号店を大宮区桜木町に開店します。
1994年、全国各地のラーメンを集めた「ラーメン館」オープンします。
2003年11月に閉店します。多種類の麺の使い分けと高い価格が原因でした。
1994年、台湾家庭料理専門店「台南市場」1号店を大宮に開店します。
1994年、新宿区に山手線沿線第1号店を新宿歌舞伎町店に開店します。
「10人に食べさせて、10人が満足する味は基本的にありません。
味は、10人中6~7人が満足するまあまあのものでいいと思います。」
「
価格を一杯390円に値下げ、低価格の新業態「日高屋」に変換し始めます。」
1998年
商号を「株式会社ハイデイ日高」に変更します。
「銀行の信用を得たり、良い人材を集めたりするためには株式会社になることが必要でした。」
1999年9月
日本証券業協会に店頭登録します。
1999年
ジャスダックに上場します。ラーメン店の上場は珍しいことでした。
2002年6月
主力を低価格ラーメンに移行し、1号店新宿東口店を開店します。
「餃子をつまみにビールを飲み、ラーメンで1000円以下、を売り文句にしました。
これが受けました。」
2002年12月
100店舗を達成します。
「ファストフードの強みは、安さです。
ラーメンも同じ価格帯で提供できれば、ファストフードの客もウチに流れ込んでくる。
そう思って、つくったのが現在の日高屋です。」
「朝はハンバーガー、昼は牛丼、夜はラーメンで、共存共栄の流れができました。」
「立地は、マクドナルドと吉野家の間にしました。これで莫大な調査費用も浮かせることができました。」
2003年3月
第11回優良フードサービス事業者等表彰の「新規業態開発部門」において、農林水産大臣賞を受賞します。
2005年4月
東京証券取引所二部に上場します。
2006年8月
東京証券取引所一部に上場、第一部指定銘柄となります。
2009年
社長を退き、株式会社ハイデイ日高の代表取締役会長に就任します。
「ハイなデイ(1日)を送っていただくために、ハイデイにしました。」
「出店の条件は、長年の勘です。」経験と勘で出店を決めます。
・ 10期連続増収増益を達成(2013年5月)
・首都圏を中心に318店(2013年3月末)を展開、庶民の味方は600店に向け快走中
・人気メニューという野菜たっぷりタンメン
・使い勝手がいい店
・営業時間が長い店
・アルコール比率が15%、同業他社は3%
・、「焼鳥日高」という新しい業態も始まっています。
焼き鳥ならば身体に負担が少なくてすみ、60歳以上の従業員のためにもなります。
客側にとっても1人で気楽に一杯やれ、テイクアウト需要もふえています。
100店をめざしています。
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2013/12/17 講演 湯遊ランド 手古舞
・正社員 640 パート6500
・333店舗 東京172 埼玉92
・10日に1店舗
・歩いて勘と経験で店舗を開拓。独断
・若い時はどんどん失敗しなさい。経営に民主主義はダメ。
【cf.】
・デフレ勝ち組、なぜか埼玉出身 2010年10月31日 / 日経ヴェリタス
ハイデイ日高 サイゼリヤ しまむら ヤオコー
(人間発見)ハイデイ日高会長 神田正 (2013/11/15付) 日経
(人間発見)ハイデイ日高会長 神田正さん (2013/11/14付)
(人間発見)ハイデイ日高会長 神田正さん (2013/11/13付)
(人間発見)ハイデイ日高会長 神田正さん (2013/11/12付)
(人間発見)ハイデイ日高会長 神田正さん (2013/11/11付)
大消費地・東京に近く(ハイデイ日高・神田正会長) 「ちょい飲み」で最高益 ハイデイ日高やハブ 2013/6/22 日経
神田正『熱烈 中華食堂日高屋―ラーメンが教えてくれた人生』開発社