第11回 源義経~源平の戦い~
*源氏のヒーロー
今からおよそ850年前、平氏と源氏は戦い、源氏は一度敗れました。
その平氏と再び戦うときがきました。
刀、弓、馬など、武術に関しては小さいころから稽古(けいこ)を積んできた源義経。
義経は源氏のヒーローとして、兄・頼朝のために一生けんめい戦いました。
*平氏に父を殺されて
二大勢力が戦いました。
平治の乱です。
そして、平氏を率いる平清盛が勝利。
源氏の大将であった源義朝は殺されてしまいます。
その義朝の息子に、のちに鎌倉幕府を開く源頼朝と、弟の義経がいました。
頼朝は伊豆へと流されます。
義経は京都の寺に預けられました。
父をうばった平氏をたおすため、義経は弓や馬など武術の稽古(けいこ)にはげみます。
*兄・頼朝とともに平氏打倒をめざした
21年が過ぎ、再び頼朝が平氏をたおすための戦いを起こします。
それは義経が待ち続けていた瞬間でした。
義経は頼朝のもとへかけつけます。
このとき22歳。
兄・頼朝と初めての対面でした。
源義経は、兄・頼朝とともに平氏打倒をめざしました。
平氏との戦いで、義経は数々の天才ぶりを発揮します。
*一ノ谷の戦い
まずは、一ノ谷の戦い。
一ノ谷は、北はけわしいがけ、南は海という場所です。
平氏は、源氏が山からせめてくるとは思わず、海だけを気にしていました。
そこで義経は、がけを馬で下るという大胆不敵な作戦を考えます。
馬がたおれるような急な坂を、いっせいにかけ下りる義経たち。
予想外のしゅうげきを受けた平氏は大混乱におちいり、やがて海へとにげていきます。
源氏軍は大勝利をおさめました。
*屋島の戦い
屋島の戦いでも天才ぶりを発揮します。
四国の屋島には、平氏たちの拠点がありました。
屋島はせめにくい場所でした。
遠くまで見わたせる高い山があり、接近すればすぐに発見されてしまうのです。
そこで義経は、だれもが船を出すとは思わないあらしのなか、近づくことにしたのです。
無事、海をわたった義経は、周辺の村に火を放ちます。
不意をつかれた平氏は大混乱におちいり、海へにげていきました。
*壇ノ浦の戦いで源氏は平氏をたおした
こうして義経は、平氏を西へ西へと追い、最後の決戦に臨みました。
ついに壇ノ浦で、平氏をほろぼしたのです。
1185年、壇ノ浦の戦いで、源氏は平氏をたおしました。
平氏に親をうばわれた少年は、父のかたきを討つとともに、源氏のヒーローとなったのです。
*悲劇の始まり
壇ノ浦の戦いから一ヶ月後、一躍ヒーローとなった義経は、京の都へもどります。
功績を挙げた義経は、後白河法皇から官位をあたえられました。
しかし、朝廷にみとめられたことが、悲劇の始まりでした。
義経は、こうした栄誉を兄・頼朝は喜んでくれると思っていました。
しかし、頼朝は、義経が手柄をひとりじめしている、無断で勝手なふるまいをしているとの報告を受け、不信感をいだいたのです。
*今も語りつがれる物語
義経は、実の兄に追われる身となりました。
頼朝の追及は全国におよび、もはや義経に居場所はなかったのです。
そしてついに義経は、東北の地でその生涯を閉じます。
壇ノ浦の戦いからわずか4年。
義経、31歳でした。
義経の物語は多くの人に愛され、今でも歌舞伎で上演されるなど、長く語りつがれています。
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