第4回 中大兄皇子・中臣鎌足~大化の改新・天皇中心の国づくり~
天皇の息子との中大兄皇子(天智天皇)は、最も力のあった豪族の蘇我入鹿をたおす計画をたてます。
19歳だった中大兄皇子は、豪族の中臣鎌足(なかとみのかまたり)とともにたてます。
蘇我馬子の孫の入鹿が、天皇をしのぐほどの富や権力を持つようになっていたのです。
645年、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)で、中大兄皇子自らが剣をふるい、蘇我入鹿をたおしました。
645年、「大化(たいか)」という年号を定めました。すべての土地と人々を天皇が治める新しい政治の仕組みをつくることをめざしました。
天皇を中心とする国づくりとは、一体どのようなものだったのでしょう。有力な豪族(ごうぞく)は、「貴族」という位の高い役人となり、政治に参加する仕組みがつくられました。国が直接支配することになりました。地方は国や郡に分けられ、都から役人を派遣しました。中央の政治がすみずみまで行きわたるようにしたのです。
農民が国に納める税の制度も整えました。
租(そ)は、イネのとれ高のおよそ3%を納めます。
調(ちょう)は、織物や地方の特産物を納めます。
庸(よう)は、年に10日間都で働くか、布を納めます。
朝鮮半島や中国大陸からの勢力に備えて九州北部を守ったり、都の警備もしたりすることになりました。
中大兄皇子は、天智(てんじ)天皇となります。
中臣鎌足は、「藤原(ふじわら)」という格式のある姓(せい)をもらいます。その子孫は代々貴族として栄えました。
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