Chủ Nhật, 27 tháng 7, 2014

第16回 雪舟・世阿弥~室町の文化と芸能~

第16回 雪舟・世阿弥~室町の文化と芸能~

墨の一色でかかれた絵


雪舟は、今からおよそ500年前の室町時代に活躍した画家です。
僧侶でもありました。
今は絵をかくときにいろいろな絵具を使いますが、雪舟が使ったのは、実は、墨の黒一色です。
雪舟がかいた『秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)』。
岩山は力強い線で、遠くの山はうすくぼかして、墨だけでかかれています。
雪舟のかいた絵は現在6点が国宝になっています。


小さいころからの絵の才能

およそ500年前、雪舟は日本独自の水墨画を確立しました。
室町時代の半ばに、雪舟は今の岡山県総社(そうじゃ)市で生まれました。
雪舟が小さなころに修行したといわれるお寺には、雪舟の絵の才能をうかがわせる話が伝わっています。
あるとき、和尚さんにしかられた雪舟は、柱にしばりつけられます。
絵ばかりかいて修行しない雪舟をこらしめるためでした。
様子を見にきた和尚さんはおどろきます。
雪舟の足もとにねずみがいたのです。
それは、こぼれたなみだをなぞって、雪舟が足の指でかいたねずみの絵でした。


墨の一色でかかれた絵

雪舟は、今からおよそ500年前の室町時代に活躍した画家です。
僧侶でもありました。
今は絵をかくときにいろいろな絵具を使いますが、雪舟が使ったのは、実は、墨の黒一色です。
雪舟がかいた『秋冬山水図(しゅうとうさんすいず)』。
岩山は力強い線で、遠くの山はうすくぼかして、墨だけでかかれています。
雪舟のかいた絵は現在6点が国宝になっています。


小さいころからの絵の才能

およそ500年前、雪舟は日本独自の水墨画を確立しました。
室町時代の半ばに、雪舟は今の岡山県総社(そうじゃ)市で生まれました。
雪舟が小さなころに修行したといわれるお寺には、雪舟の絵の才能をうかがわせる話が伝わっています。
あるとき、和尚さんにしかられた雪舟は、柱にしばりつけられます。
絵ばかりかいて修行しない雪舟をこらしめるためでした。
様子を見にきた和尚さんはおどろきます。
雪舟の足もとにねずみがいたのです。
それは、こぼれたなみだをなぞって、雪舟が足の指でかいたねずみの絵でした。


武士に好まれた水墨画

室町時代は、貴族の力がおとろえ、足利氏をはじめとする武士が権力をにぎっていました
しぶいものを好んだ武士たちは、墨の濃淡で表現する水墨画を気に入り、生活の中に取り入れました。
その水墨画を、雪舟は京都のお寺に入って学び始めます。
当時の水墨画の勉強法といえば、本場の中国から入ってきた絵を手本に、その風景を写すことだけでした。
修行を続けるうちに雪舟は、中国で水墨画を学んでみたいと思うようになります。


中国での絵の修行

そんな雪舟にチャンスが訪れます。
遣明船(けんみんせん)で中国にわたることができたのです。
初めて見る中国の雄大な景色に刺激を受けた雪舟は、その風景を熱心にえがきました。
およそ3年の修行で、雪舟の作品は本場中国でも認められるまでになりました。


日本独自の水墨画の世界を確立

修行を終え、帰国した雪舟は、生涯の傑作となる作品に打ちこみます。
『四季山水図巻(しきさんすいずかん)』。
長さ16mにもおよぶ大作です。
日本の自然や四季の変化がえがかれたこの作品は、のちの画家たちの手本となりました。
雪舟は、日本の風景や四季をえがき、独自の水墨画の世界を確立しました。


日本独自の文化

水墨画家として名を成したあとも、雪舟は各地を歩き、生涯にわたって日本の風景をえがき続けました。
名勝地として知られる京都の天橋立もかいています。
雪舟が確立した日本独自の水墨画。

室町時代には、この水墨画のほかにも、日本独自の文化が生まれました。
それは、「能」です。
能は、室町幕府の3代将軍・足利義満の時代に発達しました。
その能を完成させたのが、世阿弥です。


世阿弥によって能は大成された

もともと日本には、田植えのときに豊作をねがって歌いおどった「田楽(でんがく)」や、お祭りで演じられていた「猿楽(さるがく)」などの芸能がありました。
義満の手厚い保護を受けた世阿弥は、それまでの田楽や猿楽をもとに新しい能を作り上げます。
舞台の上で役者は能面をつけ、わずかな動きで人物の感情を表します。
たとえば、顔をやや下に向け、手でおおう仕草は、悲しい気持ちを表しています。
世阿弥の能は将軍義満が武士や貴族をもてなすときにたびたび演じられ、評判をよびました。
500年たった今でも、能は日本の伝統芸能としておどりつがれています。

室町時代は、貴族の力がおとろえ、足利氏をはじめとする武士が権力をにぎっていました。
しぶいものを好んだ武士たちは、墨の濃淡で表現する水墨画を気に入り、生活の中に取り入れました。
その水墨画を、雪舟は京都のお寺に入って学び始めます。当時の水墨画の勉強法といえば、本場の中国から入ってきた絵を手本に、その風景を写すことだけでした。
修行を続けるうちに雪舟は、中国で水墨画を学んでみたいと思うようになります。


中国での絵の修行

そんな雪舟にチャンスが訪れます。
遣明船(けんみんせん)で中国にわたることができたのです。
初めて見る中国の雄大な景色に刺激を受けた雪舟は、その風景を熱心にえがきました。
およそ3年の修行で、雪舟の作品は本場中国でも認められるまでになりました。


日本独自の水墨画の世界を確立

修行を終え、帰国した雪舟は、生涯の傑作となる作品に打ちこみます。
『四季山水図巻(しきさんすいずかん)』。
長さ16mにもおよぶ大作です。
日本の自然や四季の変化がえがかれたこの作品は、のちの画家たちの手本となりました。
雪舟は、日本の風景や四季をえがき、独自の水墨画の世界を確立しました。


日本独自の文化

水墨画家として名を成したあとも、雪舟は各地を歩き、生涯にわたって日本の風景をえがき続けました。
名勝地として知られる京都の天橋立もかいています。
雪舟が確立した日本独自の水墨画。
室町時代には、この水墨画のほかにも、日本独自の文化が生まれました。
それは、「能」です。
能は、室町幕府の3代将軍・足利義満の時代に発達しました。
その能を完成させたのが、世阿弥です。


世阿弥によって能は大成された

もともと日本には、田植えのときに豊作をねがって歌いおどった「田楽(でんがく)」や、お祭りで演じられていた「猿楽(さるがく)」などの芸能がありました。
義満の手厚い保護を受けた世阿弥は、それまでの田楽や猿楽をもとに新しい能を作り上げます。
舞台の上で役者は能面をつけ、わずかな動きで人物の感情を表します。
たとえば、顔をやや下に向け、手でおおう仕草は、悲しい気持ちを表しています。
世阿弥の能は将軍義満が武士や貴族をもてなすときにたびたび演じられ、評判をよびました。
500年たった今でも、能は日本の伝統芸能としておどりつがれています。

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